ツェねずみ夢遊病者の死 彦太郎が勤め先の木綿問屋をしくじって、父親(てておや)の所へ帰って来てからもう三ヶ月にもなった。旧藩主M伯爵邸の小使みたいなことを勤めてかつかつ其日を送っている、五十を越した父親の厄介になっているのは、彼にしても決して快いことではなかった。
ツェねずみ木馬は廻る 「ここはお国を何百里、離れて遠き満洲の……」 ガラガラ、ゴットン、ガラガラ、ゴットン、廻転木馬は廻るのだ。 今年五十幾歳の格二郎は、好きからなったラッパ吹きで、昔はそれでも、郷里の町の活動館の花形音楽師だったのが、やがてはやり出した管絃楽というものに、けおされて、「ここはお国」や「風と波と」では、一向雇い手がなく、遂には披露目やの、徒歩楽隊となり下って、十幾年の長の年月を荒い浮世の波風に洗われながら、日にち毎日、道行く人の嘲笑の的となって、でも、好きなラッパが離されず、仮令離そうと思ったところで、外にたつきの道とてはなく、一つは好きの道、一つは仕様事なしの、楽隊暮しを続けているのだった。
ツェねずみ紫根染めについて 盛岡もりおかの産物さんぶつのなかに、紫紺染というものがあります。 これは、紫紺という桔梗によく似た草の根を、灰で煮出だして染めるのです。 南部の紫紺染は、昔は大へん名高いものだったそうですが、明治になってからは、西洋からやすいアニリン色素がどんどんはいって来ましたので、一向はやらなくなってしまいました
ツェねずみ黒ぶだう 仔牛が厭あきて頭をぶらぶら振ってゐましたら向ふの丘の上を通りかかった赤狐が風のやうに走って来ました。 「おい、散歩に出ようぢゃないか。僕がこの柵を持ちあげてゐるから早くくぐっておしまひ。」 仔牛は云はれた通りまづ前肢を折って生え出したばかりの角を大事にくぐしそれから後肢をちゞめて首尾よく柵を抜けました。二人は林の方へ行きました。
ツェねずみ鳥箱先生とフウねずみ あるうちに一つの鳥かごがありました。 鳥かごと云ふよりは、鳥箱といふ方が、よくわかるかもしれません。それは、天井と、底と、三方の壁とが、無暗に厚い板でできてゐて、正面丈が、針がねの網でこさへた戸になってゐました。
ツェねずみ ある古い家の、まっくらな天井裏に、「ツェ」という名まえのねずみがすんでいました。 ある日ツェねずみは、きょろきょろ四方を見まわしながら、床下街道ゆかしたかいどうを歩いていますと、向こうからいたちが、何かいいものをたくさんもって、風のように走って参りました。そしてツェねずみを見て、ちょっとたちどまって早口に言いました。 「おい、ツェねずみ。お前んとこの戸棚とだなの穴から、金米糖こんぺいとうがばらばらこぼれているぜ。早く行ってひろいな。」 ツェねずみ
シグナルとシグナレス 軽便鉄道けいべんてつどうの東からの一番列車れっしゃが少しあわてたように、こう歌いながらやって来てとまりました。機関車きかんしゃの下からは、力のない湯ゆげが逃にげ出して行き、ほそ長いおかしな形の煙突えんとつからは青いけむりが、ほんの少うし立ちました。 シグナルとシグナレス
水仙月の4日 雪婆ゆきばんごは、遠くへ出かけて居をりました。 猫ねこのやうな耳をもち、ぼやぼやした灰いろの髪をした雪婆んごは、西の山脈の、ちぢれたぎらぎらの雲を越えて、遠くへでかけてゐたのです。
水仙月の4日
耕耘部の時計 農場の耕耘部の農夫室は、雪からの反射で白びかりがいっぱいでした。 まん中の大きな釜からは湯気が盛んにたち、農夫たちはもう食事もすんで、脚絆を巻いたり藁沓をはいたり、はたらきに出る支度をしてゐました。 俄かに戸があいて、赤い毛布けっとでこさへたシャツを着た若い血色のいゝ男がはひって来ました。 みんなは一ぺんにそっちを見ました。 耕耘部の時計
ある農学生の日誌 ぼくは人を軽べつするかそうでなければ妬むことしかできないやつらはいちばん卑怯なものだと思う。ぼくのように働いている仲間よ、仲間よ、ぼくたちはこんな卑怯さを世界から無くしてしまおうでないか。 ある農学生の日誌
谷 楢渡のとこの崖がけはまっ赤でした。 それにひどく深くて急でしたからのぞいて見ると全くくるくるするのでした。 谷底には水もなんにもなくてたゞ青い梢と白樺などの幹が短く見えるだけでした谷
烏の北斗七星 つめたいいぢの悪い雲が、地べたにすれすれに垂れましたので、野はらは雪のあかりだか、日のあかりだか判わからないやうになりました。 烏からすの義勇艦隊は、その雲に圧おしつけられて、しかたなくちよつとの間、亜鉛とたんの板をひろげたやうな雪の田圃たんぼのうへに横にならんで仮泊といふことをやりました。烏の北斗七星 夏の葬列 YouTube版
貝の火 YouTube版
よだかの星よだかの星
「よだかの星」STUDIO録音しました。 よだかの星
銀河鉄道の夜 九、ジョバンニの切符 「もうここらは白鳥区のおしまいです。ごらんなさい。あれが名高いアルビレオの観測所です。」 窓の外の、まるで花火でいっぱいのような、あまの川のまん中に、黒い大きな建物が四棟ばかり立って、その一つの平屋根の上に、眼めもさめるような、青宝玉と黄玉の大きな二つのすきとおった球が、輪になってしずかにくるくるとまわっていました。 銀河鉄道の夜ジョバンニの切符
銀河鉄道の夜 八、鳥を捕とる人 「ここへかけてもようございますか。」 がさがさした、けれども親切そうな、大人の声が、二人のうしろで聞えました。 それは、茶いろの少しぼろぼろの外套がいとうを着て、白い巾きれでつつんだ荷物を、二つに分けて肩に掛かけた、赤髯あかひげのせなかのかがんだ人でした。 銀河鉄道の夜 八鳥を捕る人
月夜のけだもの 十日の月が西の煉瓦塀にかくれるまで、もう一時間しかありませんでした。 その青じろい月の明りを浴びて、獅子は檻をりのなかをのそのそあるいて居をりましたが、ほかのけだものどもは、頭をまげて前あしにのせたり、横にごろっとねころんだりしづかに睡ってゐました。夜中まで檻の中をうろうろうろうろしてゐた狐さへ、をかしな顔をしてねむってゐるやうでした。 わたくしは獅子の檻のところに戻って来て前のベンチにこしかけました 月夜のけだもの
革トランク 斉藤平太は、その春、楢岡の町に出て、中学校と農学校、工学校の入学試験を受けました。三つとも駄目だめだと思ってゐましたら、どうしたわけか、まぐれあたりのやうに工学校だけ及第しました。一年と二年とはどうやら無事で、算盤の下手な担任教師が斉藤平大の通信簿の点数の勘定を間違った為ために首尾よく卒業いたしました。 (こんなことは実にまれです。) 卒業するとすぐ家へ戻されました。家は農業でお父さんは村長でしたが平太はお父さんの賛成によって、家の門の処ところに建築図案設計工事請負といふ看板をかけました。 すぐに二つの仕事が来ました。一つは村の消防小屋と相談所とを兼ねた二階建、も一つは村の分教場です。 (こんなことは実に稀まれです。) 斉藤平太は四日かかって両方の設計図を引いてしまひました。 それからあちこちの村の大工たちをたのんでいよいよ仕事にかゝりました。 革トランク
どんぐりと山猫 おかしなはがきが、ある土曜日の夕がた、一郎のうちにきました。 かねた一郎さま 九月十九日 あなたは、ごきげんよろしいほで、けっこです。 あした、めんどなさいばんしますから、おいで んなさい。とびどぐもたないでくなさい。 山ねこ 拝 どんぐりと山猫
チュウリップの幻術 この農園のすもものかきねはいっぱいに青じろい花をつけています。 雲は光って立派な玉髄の置物です。四方の空を繞ります。 すもものかきねのはずれから一人の洋傘直しが荷物をしょって、この月光をちりばめた緑の障壁に沿ってやって来ます。 てくてくあるいてくるその黒い細い脚はたしかに鹿に肖ています。そして日が照っているために荷物の上にかざされた赤白だんだらの小さな洋傘は有平糖でできてるように思われます。 (洋傘直し、洋傘直し、なぜそうちらちらかきねのすきから農園の中をのぞくのか。) チュウリップの幻術
めくらぶどうと虹 城あとのおおばこの実は結び、赤つめ草の花は枯れて焦茶色になり、畑の粟は刈られました。 「刈られたぞ。」と云いながら一ぺん一寸顔を出した野鼠がまた急いで穴へひっこみました。 崖やほりには、まばゆい銀のすすきの穂が、いちめん風に波立っています。 めくらぶどうと虹
床屋 本郷区菊坂町 ※ 九時過ぎたので、床屋の弟子の微かな疲れと睡気がふっと青白く鏡にかゝり、 室は何だかがらんとしてゐる 「おれは小さい時分何でも馬のバリカンで刈られたことがあるな。」 「えゝ、ございませう。あのバリカンは今でも中国の方ではみな使って居ります。」 「床屋で?」 「さうです。」 「それははじて聞いたな。」 「大阪でも前は矢張りあれを使ひました。今でも普通のと半々位でせう。」 「さうかな。」 床屋
まなづるとダァリア くだものの畑の丘のいただきに、ひまはりぐらゐせいの高い、黄 色なダァリヤの花が二本と、まだたけ高く、赤い大きな花をつけた 一本のダァリヤの花がありました。 この赤いダァリヤは花の女王にならうと思ってゐました。 風が南からあばれて来て、木にも花にも大きな雨のつぶを叩きつ け、丘の小さな栗の木からさへ、青いいがや小枝をむしってけたた ましく笑って行く中で、この立派な三本のダァリヤの花は、しづか にからだをゆすりながら、かへっていつもよりかゞやいて見えて居 りました。 それから今度は北風又三郎が、今年はじめて笛のやうに青ぞらを 叫んで過ぎた時、丘のふもとのやまならしの木はせはしくひらめき、 菓物畑の梨の実は落ちましたが、此のたけ高い三本のダァリヤは、 ほんのわづか、きらびやかなわらひを揚げただけでした。 まなづるとダァリア
おきなぐさ うずのしゅげを知っていますか。 うずのしゅげは、植物学ではおきなぐさと呼ばれますが、おきなぐさという名はなんだかあのやさしい若い花をあらわさないようにおもいます。 そんならうずのしゅげとはなんのことかと言われても私にはわかったようなまたわからないような気がします。 それはたとえば私どもの方で、ねこやなぎの花芽をべんべろと言いますが、そのべんべろがなんのことかわかったようなわからないような気がするのと全くおなじです。とにかくべんべろという語のひびきの中に、あの柳の花芽の銀びろうどのこころもち、なめらかな春のはじめの光のぐあいが実にはっきり出ているように、うずのしゅげというときは、あの毛科のおきなぐさの黒朱子の花びら、青じろいやはり銀びろうどの刻みのある葉、それから六月のつやつや光る冠毛がみなはっきりと眼にうかびます。 おきなぐさ
税務署長の冒険 一、濁密防止講演会〔冒頭原稿数枚なし〕 イギリスの大学の試験では牛でさへ酒を呑ませると目方が増すと云ひます。又これは実に人間エネルギーの根元です。酒は圧縮せる液体のパンと云ふのは実に名言です。堀部安兵衛が高田の馬場で三十人の仇討ちさへ出来たのも実に酒の為にエネルギーが沢山あったからです。みなさん、国家のため世界のため大に酒を呑んで下さい。」(小学校長が青くなってゐる。役場から云はれて仕方なく学校を貸したのだが何が何でもこれではあんまりだと思ってすっかり青くなったな)と税務署長は思ひました。 税務署長の冒険
二人の役人 その頃の風穂の野はらは、ほんたうに立派でした。 青い萱や光る茨やけむりのやうな穂を出す草で一ぱい、それにあちこちには栗の木やはんの木の小さな林もありました。 野原は今は練兵場や粟の畑や苗圃などになってそれでも騎兵の馬が光ったり、白いシャツの人が働いたり、汽車で通ってもなかなか奇麗ですけれども、前はまだまだ立派でした。 二人の役人
鳥をとるやなぎ 「煙山にエレッキのやなぎの木があるよ。」 藤原慶次郎がだしぬけに私に云いました。私たちがみんな教室に入って、机に座り、先生はまだ教員室に寄っている間でした。尋常四年の二学期のはじめ頃だったと思います。 鳥をとるやなぎ
北守将軍と三人兄弟の医者 むかしラユーといふ首都に、兄弟三人の医者がゐた。いちばん上のリンパーは、普通の人の医者だつた。その弟のリンプーは、馬や羊の医者だつた。いちばん末のリンポーは、草だの木だのの医者だつた。 宮沢賢治北守将軍と三人兄弟の医者
よだかの星 朗読カフェメンバーの小松茉里さんにお願いした岩手の言葉によるよだかの星です。 よだかの星岩手の言葉による
注文の多い料理店序 わたしたちは、氷砂糖をほしいくらいもたないでも、きれいにすきとおった風をたべ、桃いろのうつくしい朝の日光をのむことができます。 またわたくしは、はたけや森の中で、ひどいぼろぼろのきものが、いちばんすばらしいびろうどや羅紗や、宝石いりのきものに、かわっているのをたびたび見ました。 注文の多い料理店序
ガドルフの百合 ハックニー馬のしっぽのような、巫戯た楊の並木と陶製の白い空との下を、みじめな旅のガドルフは、力いっぱい、朝からつづけて歩いて居りました。 それにただ十六哩だという次の町が、まだ一向見えても来なければ、けはいもしませんでした。ガドルフの百合
よくきく薬とえらい薬 清夫は今日も、森の中のあき地にばらの実をとりに行きました。 そして一足冷たい森の中にはいりますと、つぐみがすぐ飛んで来て言いました。よくきく薬とえらい薬
車 ハーシュは籠を頭に載っけて午前中町かどに立っていましたがどう云うわけか一つも仕事がありませんでした。呆れて籠をおろして腰をかけ辨当をたべはじめましたら一人の赤髯の男がせわしそうにやって来ました。車
狼の森と笊森盗人森 小岩井農場の北に、黒い松の森が四つあります。いちばん南が狼森で、その次が笊森、次は黒坂森、北のはずれは盗森です。狼の森と笊森盗人森 |